日本遺産認定ストーリーと文化財

美しく厳しい大雪山のふところに、カムイ〜神〜を見出し共に生きた“上川アイヌ”。

彼らは激流迸る奇岩の峡谷に魔神と英雄神の戦いの伝説を残し、神々への祈りの場として崇めた上川アイヌの聖地には、クマ笹で葺かれた家などによりコタンを形成し祈りを捧げ続ける。

上川アイヌは「川は山へ遡る生き物」と考え、最上流の大雪山を最も神々の国に近く、自然の恵みをもたらす、カムイミンタラ〜神々の遊ぶ庭〜として崇拝してきた。神々と共に生き、伝承してきた上川アイヌの文化は、この大地に今も根付いている。

市町村の位置図

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構成文化財の位置 全体図

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カムイと共に生きる上川アイヌ

神々の遊ぶ庭、大雪山のふところにおいて、アイヌの人々とカムイ(神)は対等の存在として共に生きてきました。

アイヌの人々は、自然・動物・植物・道具など人間をとりまくすべての事物には“魂”が宿っており、神はカムイモシリ(神々の国)から山や川、クマなど様々な事物に姿を変えて“カムイ”としてアイヌモシリ(人間の国)に降りると考えました。

アイヌの人々は、多くの恵みをもたらす“カムイ”に感謝し、祈りや供物を捧げ、カムイもそれにより力を得ます。一方、禍をもたらす“カムイ”には、戒めとして罰を与えた後、改めて、更なる恵みを祈ります。

ペニウンクル(川上に住む人)と呼ばれた上川アイヌの人々は、「川は山へ溯る生き物」であり、最上流の大雪山を、最もカムイモシリに近いところと考えました。彼らは、石狩川流域にコタン(集落)をつくり、河川の恵みによる交易で栄え、多くの出来事を伝説として語り継いできました。神の里から上川アイヌの聖地、神々の遊ぶ庭まで石狩川を遡り、かつて彼らが見てきた、そして現在も変わらぬ神々の世界を旅してみましょう。

ストーリーの構成文化財

神の里“カムイコタン”

石狩川中流域のカムイコタンでは、両岸に奇岩の大岩塊が屹立し、累々と横たわる巨岩の間を大滝のように激流が迸り、いかにも人智の及ばぬものが棲みついているかのような情景を見ることができます。

まだ道路もなく舟が重要な交通手段だった頃、カムイコタンの巨岩と激流は石狩川で一番の難所でした。川を登ってきたアイヌはこの地で舟を降り、ここからは、陸伝いに上流を目指しました。そのためカムイコタンには、人やモノの流通の場として集落が形成されていきました。

カムイコタンの激流はいくつもの渦をまき、時には舟を難破させ人々を呑み込みました。上川アイヌの人々は、この厳しい自然やその痕跡をカムイの仕業と考え、この地に魔神を見出しました。

激しい渦流によりできた何人もの人が入れる大きな穴を「ニッネカムイ・オ・ラオシマ・イ~魔神の足跡~」、大口をあけて断末魔の叫びをあげているような形の奇岩を「ニッネカムイ・サパ~魔神の頭~」、首を切り落とされたような崖の上の巨岩を「ニッネカムイ・ネトパ・ケ~魔神の胴体~」と名付けるなど、魔神と英雄神による戦いが繰り広げられたという壮大なストーリーを残しています。

現在においても、カムイコタンの歴史を偲び、「交通の難所・カムイコタンを無事に通れるように」と、川の神に祈りを捧げる儀式が行われています。

上川アイヌの聖地“チノミシリ”嵐山

カムイコタンから石狩川を登ること十数キロ、川に面した大きな絶壁を持つ、上川アイヌがチノミシリ(我ら祀る山)と呼んだ嵐山です。アイヌの人々が舟でこの絶壁の前を行き来する際は、衣服を正し被りものをとり、畏敬の念とともに通り過ぎたとされており、信仰上、極めて重要な地とされています。

その山の麓には、大きな母屋に小さな玄関が併設され、全体がクマ笹で葺かれた数軒のチセ(家)が立ち並びます。母屋は中心に炉があり、1年を通じて火の神が祀られるため、土間が蓄熱し、厳冬期も比較的暖かであったと言われています。部屋の一番奥にある窓は、神々が出入りする神聖な窓であり、そこからチセの中を覗くことは許されませんでした。

チセの隣のクマ笹で葺かれた高床式の食料庫と玄関から少し離れた男性・女性用が別のトイレ、そしてチセの一番奥の窓の外にある神々を祀る祭壇によりアイヌのコタンが構成されています。

今もなお、上川アイヌの神々への祈りは捧げ続けられ、石狩川と嵐山の豊富な自然により繁栄した、かつての上川アイヌの暮らしを垣間見ることができます。

神々の遊ぶ庭“カムイミンタラ”大雪山

嵐山から石狩川を最上流まで登れば、かつて上川アイヌが見た情景がそのまま残る、神々の国に最も近い大雪山です。原始的で壮大な山岳風景の中に360度のパノラマが展開し、真夏でも残る白い雪渓と、ハイマツの緑、白や赤で彩られた高山植物の絨毯が敷きつめられ、周辺には大雪山系でしか見られないウスバキチョウが黄色い花びらのように舞い、その美しいコントラストには誰しもが驚かされます。山麓には、天まで広がる絶壁、猛々しさと優美な美しさを兼ね備えた滝、数多の生命を育む湖などの自然の楽園が迎えてくれます。また、日本一早く色づき始める大雪山の紅葉は、天空の花畑を燃え盛るように染め、その壮大なスケールと絶景は観るものを魅了します。

アイヌの人々にとっての大雪山は、神がもたらす豊かな食料の宝庫でもあり、魔神がもたらす天災など人々の暮らしを脅かすものであると考えられ、その様から、カムイミンタラ(神々が遊ぶ庭)として呼ばれ、崇拝と畏怖の対象とされてきました。

大雪山では、最も格式の高いシマフクロウを神々の国に送る儀式や、山に入る者の安全を祈る祭事を現在も行っており、自然と共に生き、自然の恵みに感謝するアイヌの営みを感じることができます。

カムイと共に生きる人々の営み

明治後期の和人の流入により、上川アイヌの人々は何度も土地を追われ、生活様式が激変し、理不尽な暮らしを余儀なくされました。当時の強制移転に反対し、人々の生活の場を守った上川アイヌの長は、アイヌの聖地で今でも英雄として語り継がれています。北海道土産として有名な木彫熊は当時の厳しい暮らしの中で、新しい産業としてこの地でその技術を誕生させました。大雪山のふところでは、今もなお上川アイヌの営みが息づき、文化や歴史を発信し続けています。

上川アイヌが見出したカムイは、他にも「地獄に通ずる穴」や「アイヌの古戦場」「底無し沼と妖刀」など、数々の伝説や歴史を残し、各地で今も語り継がれています。

これらの自然景観とアイヌが織り成す神秘は永遠であり、手で触れ足で踏みその目で確かめたとき、訪れる人々は、上川アイヌが見出したカムイの世界に引き込まれることでしょう。