2019年6月7日、旭川市立北門中学校で、「第二十九回 銀の滴(しずく)降る日 知里幸恵 生誕祭」が行われました。
知里幸恵(ちりゆきえ、1903-1922)とは、アイヌの間で口承されてきた神謡(カムイユーカㇻ)を翻訳、編著し、1923(大正12)年に「アイヌ神謡集」として上梓したアイヌの一少女です。
「アイヌ神謡集」は、現在も読み継がれている名作で、彼女が綴った美しく透明感のある文章からは、大自然に抱かれて暮らすアイヌの人々の信仰、文化を垣間見ることができ、知里はその詩才を高く評価されています。
知里は登別(のぼりべつ)市の生まれでしたが、出版に向けた校正の直後に19才で夭折(ようせつ)するまでの約13年間を、現在の旭川市立北門中学校が建つ地で過ごしました。
その縁で、毎年6月にはこの地で生誕祭を行い、彼女の偉業を後世に伝えています。
同校には知里に関するさまざまな資料した「知里幸恵資料室」も設置されており、遠方から訪れるファンもいるといいます。
講演からスタート
この日は「松浦武四郎記念館」(三重県松坂市)元館長、高瀬英雄さんの講演から始まりました。
高瀬さんは「知里幸恵を育てた上川アイヌの人たちの素晴らしさ」という演題で、北海道の名付け親といわれる冒険家、松浦武四郎の記録から上川アイヌの素顔をひもとき、その暖かい人柄や芸術性の高さが知里を育んだのだと、独自の切り口で上川アイヌと知里をたたえました。
盛り上がったアイヌ古式舞踊
講演の後は、旭川チカップニアイヌ民族文化保存会による、同中の生徒を対象にした「ウポポ・アイヌ古式舞踊」の指導が行われました。
アイヌにとって、歌と踊りは生活の一部。アイヌ古式舞踊は、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
同会会員であり、「川村カ子ト(かわむらかねと)アイヌ記念館」副館長の川村久恵さんが最初に披露したのは、アイヌに伝わる口琴(口で奏でる楽器)ムックㇽ(またはムックリ)の演奏です。
独特の音色を響かせた後、「ムックㇽは北海道に生育するネマガリダケで作っています。私たちは、気持ちを託して音を鳴らします」と教えてくれました。
そして次はいよいよ歌と踊りです。
演目は、3曲です。
踊り手が歩み寄り肩を抱き合うウェカプ(あいさつの踊り)。
天を向いたトドマツの枝が風に揺れている様子を表現したフッタレチュイ(トドマツの踊り)。
イオマンテ(霊送り)の儀式に踊るシカリウポポ(輪踊り)。
同じ節を繰り返す歌に合わせて体を動かすアイヌ古式舞踊は、〝ノリ〟やすく振り付けも易しいことから、飛び入り参加する生徒が出るなど、大いに盛り上がりました。
川村さんは、「北海道の先住民族アイヌのこと、知ってくださいね」と締めくくりました。
アイヌの祈りの儀式「カムイノミ」
最後は、知里幸恵文学碑の横で「カムイノミ」が行われました。
「カムイノミ」とは、直訳するとカムイ(神)・ノミ(~に祈る)。神々への祈りという意味を持つ言葉です。
火の神やその他の天降った神々への感謝と、北門中の生徒たちの幸福な未来を願う祈りが捧げられました。
儀式では、アイヌの言葉で上げられる祈りの言葉を耳にすることができ、また、カムイに捧げるイナウ(木弊、もくへい)やお神酒を捧げるイクパスィ(捧酒箸、ほうしゅばし)といった、アイヌに伝わる祭具が使われているのを、実際に見ることができました。
北海道の代表的な花、エゾカンゾウを、知里幸恵文学碑に献花して生誕祭は終了です。
アイヌの歴史や文化に触れられる貴重な機会でした。
取材・文)ライター 孫田二規子